日誌 その20

少し更新が滞って居ました。

最近みたニュースで、中国のあるIT企業が日本で雇用を募るにあたり

「新卒初任給40万」と破格の条件を出したと言う記事をみたのですが、
昔、確か中学生の頃です、もちろん昭和でしたけどある先生が授業で
「上海に10万持って行ったら1月くらい豪遊できるぞ!」と言ってた
事を思い出すと同時に、日本って昭和から平成になるくらいをピークと
して、衰退してるんだなと実感させられた気がします。

経済の勉強をした訳では無いので専門的な事は分かりません。
けど、世界を制したTVを代表とする家電はナリを潜め、スマホは中韓の
製品に太刀打ちできず、半導体産業は死に体・・。

シャープが台湾企業の下請けになり、あの東芝が倒産寸前ですものね、
時代は変わったと言うか日本が表舞台から姿を消そうとしているん
でしょうね。

バブル後失われた20年(30年)と良く言われますが、シャープから続く
日本を代表する企業のていたらくを見てると、創業者以降の2代目、3代目の
経営者が無能だったと言う結果だと思います。

それがここに来て一気に露呈して、隠せなくなっただけ。

労働者、特に技術者を蔑ろにして世界で勝負出来る製品を生み出せない。
製品に限らずサービスなども昭和で止まったままかも知れません。

車もトヨタ頼みですし、カメラもキヤノンとSONYの2強がなんとか頑張って
いる状態ですよね、世界的に見ると(α7欲しいw)。
あのニコンが事実上死んだのは年配の方にはショックな出来事かもしれ
ませんが、以前のエントリーに書いたように、あんな不良品を世にだした
結果だと思います。
中国あたりに買われて、レンズの技術吸い上げられて消滅でしょうね、ニコンは。


今の10代、20代の人は生まれてずっと日本が不況で、その力を失って
行く姿しか見ていないので、この国はそんなものかって印象かも知れませんが、
僕が小中を過ごした80年台後半は、バブル景気の只中だったのもありますが、
明日、未来によくわからないけど希望を持てる時代と言うか、雰囲気がありました。

まだ小中校生だったので、人生とかそんなビジョンはまだ持っていませんでしたが、
当時何より日常で大きな存在だった「ゲーム」はこれからもっともっと凄くなる
そんな期待に胸を膨らませていた気がします。

そう日本のゲームメーカーが先陣を切って・・・

結果的にはこれも幻想だったのですけど。


小学校に入った頃、あの「ファミコンブーム」が起こります。
買いたくても手に入らない、何処へ言っても売ってないそんな状況でした。
そんなある日、父が仕事帰りに僕達兄弟が欲しがってた「ファミコンを買ってきた」
と帰宅しました。

予期せぬサプライズに気も狂わんばかりに弟と喜んだのですが・・・

セガマークⅢでした・・・。

父曰く「カセットは使える(ファミコンの)んだろ?」・・・そんな訳あるかい。
しかもマークⅢを購入して一緒に買ってきたのが、前の世代の「スターフォース」
カナリ後にオリジナルのアーケードに近いのはこのセガのスターフォースだと
知るのですが、ファミコン版と比べるとグラフィックがまぁしょぼい・・。

後に「ファンタジーゾーン」や「スペースハリアー」「北斗の拳」などで幾らか
溜飲を下げる事になるのですが、TVゲーム機を購入してしまったので当然ファミコンは
買ってもらえず、家で「スーパーマリオ」や、社会現象になったかの「ドラクエⅢ」は
当然プレイ出来ず。

当時友達などは当然「ファミ通」などファミコン系の雑誌を購読していましたが、
家にファミコンが無いので買っても悔しいだけで、仕方なくセガに限らずPCや
アーケードゲームも扱ってた「Beep」を弟と交互に購入して愛読していました。


ドラクエの影響で、日本で空前のRPGブームが巻き起こっていましたが、セガには
後にファンタシースターが登場しますがそれまで全く無く、Beepの影響もあってPC
ゲームに憧れを持つようになっていきます。

しかし、当時のPCは安い物でもモニターとセットで20万程する高値の花で、
小中校生にどうやっても買える、また買って貰える物ではなかったです。

それだけに、ドラクエやFFが家で出来ない、学校で会話に入れない(皆がクリアした
後で友達の家でプレイさせて貰ったりはしてたけど)悔しさから、

ファミコンのRPGなんて偽物だ

負け惜しみともいえる強がりを抱いて日々生きていました・・・ちょっと大げさ
ですけど。


そんな折、中学へ上がって通わされた塾でとある別の中学の子と出会い、夢にまで
憧れたPCのRPGをプレイするチャンスを得ることになります。

続く・・・。


格子力映像研究所 V9

またまた懲りずに復活 (゚∀゚)

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